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「経済性を優先して津波対策を先送りしたのではないか」。福島第1原発事故後、同原発に近い双葉病院(大熊町)に入院中だった父親を亡くした菅野(かんの)正克さん(73)は「3人(被告)にはきちんと説明してほしい」と語る。
東日本大震災の発生直後、大熊町で精肉店を営んでいた菅野さんは双葉病院に車を走らせた。父の健蔵さんは肺炎をこじらせて入院していた。「安全な場所に移しました」。忙しく立ち回る看護師に「お願いします」と頭を下げ、自宅の片付けに戻った。
自宅や病院には12日早朝、避難指示が出た。菅野さんは妻や2人の娘と役場からバスに乗り、5時間かけて三春町の高校に避難した。その後、「双葉病院で患者死亡」との報道に接して「おやじは駄目かもしれない」と覚悟した。
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