平城京

右京南に道路跡 「十条」説が再燃

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平城京・九条大路の南約270メートルでみつかった東西道路の遺構。道路両脇に溝が造られている=奈良県大和郡山市野垣内町で2018年3月撮影、同市教委提供
平城京・九条大路の南約270メートルでみつかった東西道路の遺構。道路両脇に溝が造られている=奈良県大和郡山市野垣内町で2018年3月撮影、同市教委提供

 奈良県大和郡山市教委は8日、平城京南端とされる九条大路より南側で、都の区画(条坊)と同規格で作られた奈良時代の道路遺構が2カ所見つかったと発表した。九条以南では、これまで東側(左京)で道路跡が確認されているが、西側(右京)では初。平城京の南側に条坊が広がっていたことを示す成果だ。

 平城京の南端は、羅城門があった九条大路が定説だった。しかし、2007年に東西に走る幅14メートルの道路跡が同市教委の調査で見つかるなどし、「十条大路」があった可能性が浮上。南端は「九条」か「十条」か論争になっている。

 新たな道路遺構は昨年3月~今年3月の調査で、九条大路の南約165メートルと同約270メートルの2カ所で確認。1カ所は南北方向の幅約4.2メートルの道路跡で、両側に幅約1.2~1.3メートル、深さ約20~80センチの溝があった。もう1カ所は、東西方向の幅が約6.5メートルの道路跡で、両側に2.3~2.7メートル、深さ約80~90センチの溝を確認した。いずれも大路の間に造られていた道路の延長線上にあ…

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