日ソ共同宣言60年

2島譲渡「軍事面を考慮」

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セルゲイ・フルシチョフ氏=真野森作撮影
セルゲイ・フルシチョフ氏=真野森作撮影

 1956年に日ソ共同宣言が調印されてから19日で60年となる。第二次大戦で敵対した両国の国交回復は日本の国連加盟に道を開き、抑留者の最終帰還を実現したが、北方領土問題は現在も解決していない。当時のソ連指導者、ニキータ・フルシチョフ共産党第1書記の次男で歴史家のセルゲイ・フルシチョフ氏(81)=米国在住=が毎日新聞のインタビューに応じ、ソ連側が東西冷戦下の安全保障の観点から対日交渉に臨み、宣言に明記された「歯舞、色丹の2島引き渡し」も軍事面を考慮した判断だったと指摘した。【クランストン(米ロードアイランド州)で真野森作】

 フルシチョフは53年3月の独裁者スターリンの死後、徐々に権力を掌握し「平和共存外交」を打ち出した。セルゲイ氏は父と共に回顧録をまとめ、業績や思考を熟知する。「米ソ間の核戦争を避けようと平和共存路線を進め、西ドイツ、日本など旧敵との交渉にも取り組んだ。対米従属を弱められる可能性があると考えていた」と語った。

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